Concept  オルガンの構想

《オルガンの仕様決定をめぐること》

パイプオルガンは基本的にオーダーメイドで、2つと同じ楽器はありません。

また、言語や食べ物のように地域性や時代性があり、長いオルガンの歴史の中でも、例えば18世紀にドイツのJ.S.バッハが演奏していたオルガンと、19世紀にフランスのセザール・フランクが演奏していたオルガンでは、楽器の特徴も響きも大きく異なります。

実際「ドイツの音」「フランスの音」というのは明確に差異があり、また世紀が違えば楽器の音色が異なるのは当然のように思われますが、実は同じ地域で10年ほどのスパンで見ても楽器は刻一刻と変化しています。

 新しいオルガンを設置する際、こうした楽器の指向性をどこに位置付けるのかでよく議論になります。

議論で済めば良いのですが、時には争いの火種になることさえあります。なぜなら個人によって考え方はそれぞれ異なり、それらに甲乙つけることはできないからです。

そしてこれが重大な問題に発展するのは、ピアノでは例えばベートーヴェンもショパンもプロコフィエフも基本的には一台のピアノで演奏できてしまうのに対して、オルガンは一度仕様を決めるとその楽器で出せる音色は限定されてしまうからです。

それは演奏できるレパートリーを一定制限することになります。

《基本的なコンセプト ~伝統とモダンへの挑戦~ 》

では、グレイスチャペルのオルガンはどんなオルガンなのか?

表現は難しいですが、基本的にはドイツ風、でも楽器に拡張性を持たせることで、時代や宗教、国境を越えて

「私たちの時代の音楽(Musik unserer Zeit)」にアプローチできる楽器にする、というのが私のイメージでした。

しかし学校のチャペルに設置されるということもあって、幅広いレパートリーが演奏できることは必須条件。

そして、私自身学生時代に、北ドイツバロックオルガンを模して製作されたアーレント・オルガンの、タッチと発音の繊細さ、音色の素晴らしさに惚れ込んで演奏していたので、演奏者と楽器との親密さも必ず欲しいと思っていました。

まずは第一鍵盤(Hauptwerk)と第二鍵盤(Positivwerk)はバロック寄りの整音、第三鍵盤(Schwellwerk)をロマンティック寄りの整音にしてもらいましたが、楽器が出来あがってみると、カプラーを活用すると意外にも整音上の「バロック」「ロマンティック」傾向にあまり縛られずに柔軟に幅広い音色作りができることが気付きました。これはひとえにヴァイムス社の若い整音師、ヨヘン・ブロイヤーの腕の良さ!

そして、鍵盤の弾き心地が良い。ビルダーのヴァイムス社は、背が低く手も小さい私にも負担少なく演奏できるように、鍵盤のアクションにも随分こだわって作ってくださいましたが、einarmig<直訳すると「一つ腕」という意味>というメカニカルなキーアクションの手法を用いていて、鍵盤のタッチと発音の繊細な関係性がはっきりと感じられます。

さらにどうしても実現させたかったのは、こうした伝統的な工法によるオルガンらしい側面を備えたうえで、さらに「オルガンの現代」に迫るアプローチをすることでした。

 

イメージとして、ひとたびベールを脱ぐと別の表情を現すオルガン、というものを抱いていましたが、

この「オルガンの現代」へのアプローチにはモデルがありました。

それは私が留学時代に出会った、ケルン(ドイツ)の聖ペーター教会(Kunst -Station St.Peter) のオルガンです。

 

《 Kunst-Station St.Peter 聖ペーター教会 》

ケルンの中心地、ノイマルクトの近くに位置する聖ペーター教会はとても特別なカトリックの教会です。

Kunst-Stationという名前を持っていますが、これは英語にするとart station、つまりアートの発信地というような意味になります。芸術と宗教との対話性に重きを置き、この教会を「信仰と典礼」と「現代音楽や現代芸術」との対話のためにひらかれた場所と位置付けています。

これは1987年、当時の司祭(私の滞在時もおられました。)フリードヘルム・メネケス氏の牧会としての素晴らしい実践に始まったのですが、彼はとくに芸術の真に自由で創造的であり得る特性にこそ、対話の実現性を確信されていたのだと思います。

現代音楽や現代芸術へのこだわりは、様式に置き換えにくい真の創造性を追究するが故ではないでしょうか。

聖堂の中に芸術が共存するこの教会には「現代オルガンの金字塔」と称されるオルガンがあり、実際この教会でのミサも全て現代音楽のみ(即興演奏)で進行します。

神秘的、瞑想的な響きから痛みや恐れ、力を感じさせる響きまで、あらゆる多弁な響きが

ここでは礼拝や典礼の一部になっているように感じられました。

 

4段鍵盤のメインのコンソールでは、地階にあるコーラスオルガン(Chororgel)も鳴らすことができます。

70近くの一般的なストップ以外に全ての鍵盤で演奏できるシロフォン、ハープ、木琴、シンバル、銅鑼等の多彩な

音色とバリエーションを持つ数多くの打楽器類、そしてサイレンやホイッスルなどまで、すべてが

ストップとして楽器に収められています。

一般的には「特異な」ストップの数々が、ここではオルガンに自然に馴染んでおり、実のところとても繊細な

楽器という印象を受けます。

 

《なぜグレイス・チャペルのオルガンで "モダン” なのか》

私が留学していた時、私の周囲は教会音楽に溢れかえり、キリスト教信仰と西洋音楽の語法が明白なイディオムとされるなかで、自分の方向性をどこに定めるべきかに悩んでいた時期がありました。

日本人であることだとか、自分にとっての宗教性だとか、そういうことが演奏上ひっかかった時がありました。 

そんな折に聖ペーター教会で現代音楽の講習会があり、当初は当教会の客演オルガニストである

ジグムント・サットマリー氏の講習を受けたくてここを訪れ、このオルガンを知り、そのすぐ前に

ドミニク・ズステック氏が当教会のオルガニストに就任したのでした。

サットマリー氏のジェルジ・リゲティをめぐる講習も素晴らしかったですが、

当初はこのオルガンの特異性と、教会の取り組みの芸術的な先端性、

ここで奏でられる音楽すべてにただ圧倒され、度肝を抜かれました。

でもズステック氏の即興演奏には、私の問いに対する答えー東洋と西洋の違いや宗教性についてー

を模索するヒントがあるように感じさせるものがありました。

即興演奏を一度も学んだことのない私が、西洋音楽の語法を前にすると即興に全く手が付けられなくなる

私が、唯一即興に挑戦できたのもこのオルガンでした。

なんと、何度かズステック氏の代理としてミサでオルガンを弾いたこともありました。

 

日本で、しかも日本文化がそこここにある京都で、そして学校のチャペルに設置されるオルガンに、

こうした聖ペーター教会のオルガンのような個性を取り入れるということは、

文化的に、宗教的に、そして今の時代に開かれた楽器を入れることを意味し、

それは学校という教育の現場には必要なことで、そしてそれはきっと、世界的にみても

興味深い試みであるに違いないと思っています。

 

ただ、聖ペーター教会のオルガンは現代音楽に特化した「現代オルガンの金字塔」と称される楽器であるのに対し(実際ここではミサも全て現代音楽のみで進行します)、岩倉のオルガンの場合は、そうした現代的な機能に関してはクラシックな楽器にオプションされた拡張的なものとして備えられています。

構想段階で上述のオルガニストであり、今では私の友人でもあるズステック氏に相談したところ、

実際とても真剣にこの構想を共有してくれ、具体化に向けたアイディアを打ち出してくれたのでした。

オルガン建造にも明るい彼は、そのまま直接ビルダーであるヴァイムス社のフランク・ヴァイムス氏とやり取りをして、しかもこのオルガンの為に特別にマリンバとカリヨンを製作してくれたゲルハルト・ケルン(Gerhard Kern) 氏まで紹介してくれたのでした。

岩倉のオルガンでのこうした特徴的な試みは「オルガンの特徴」でご紹介します。